結局出会いなんて良い事以外の方が多い
結局、男性だろうと女性だろうと出会いに関するお話には良い事よりも残念な事の方が多かったりする、コレは結局悪い事の方が強烈に意識に刻み込まれるという事もあるが(ジャムを塗った食パンを落とした際にジャム側が床面を向いてしまうというアレの法則、ちなみにエディーでは無いので注意)何よりも人間は他人と長期的に過ごせるように設計されていないのだ、コレは家族や幼なじみなどの超々長期的に0から現在に至るまで成長する家庭で存在する人類とは別に、ある程度の部分まで成長した時点で出会った二種類の人間同士ではよっぽどの事でもない限りは長期的に同じ生活をする事は事実上不可能であり、無理して一緒に生活した結果が破局であったり別居であったり最悪の場合は死別と言う形になって顕現するのだ。
出会いを求めると言う事は
すなわち出会いを求めるという行為は日本国内に限った話で言えば、高確率で自殺もしくは禅などの修行の一環であり辛く厳しい行為であると言えるが、実際に他人が行なっているのを見る分には羨ましく、死んでしまえと思えるような相反する属性を内包しているなんとも矛盾と不思議のバーゲンセールが詰まった現象である、しかしそれでも1つだけ納得行かない所があると言えば出会って長期的な交際を経た上で結婚したと仮定した場合に多くの場合働くのは旦那(共働きの場合もあるが)で財布を管理するのが嫁というのはなんとも薄気味悪い話ではないだろうか?自分自身の報酬に対して支払われた金額が嫁の手の内にある・・・これほど吐き気をもよおすような不条理がこの世に存在する事が許されてなるものか。
出会い以外の道は無いのか
そもそも我々には異性と出会いを探す道しかなかったのだろうか?コレはなにも人類以外に性的な目を向けろという話ではなく、つまるところ付き合って結婚して一緒に生活する。そんなシステム事態がそもそも日本人の気質に合っていないのではないかと言う事である(ただし当時の皆が寄り集まっていなければ生きていく事すらままならなかった当時とはまったくもって現状は違う)そもそも我々は自身で思っている以上に他人からの干渉を必要としていないのではないだろうか?その証拠に現代における一人一台レベルまでに普及した携帯電話やインターネットの出会い系サイトの存在が物語っているではないか、実態のある面倒な他人よりも、どこかの誰かの顔も知らないネットの存在の方が気楽で簡単でいつだって何かが居て、切り離して拒絶する事だって自分の自由自在だ。